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​2024年12月21日
 

 言語の始まりは、歌であった。
 幼児などは、言葉を話せなくても、歌を唄うことは出来る。
 私は、認知科学の研究者として、音楽が認知世界に与える影響について研究している。
 被験者01に協力してもらい、日々実験を繰り返した。
 結果。悲しい気分の時に明るい曲を歌うより、悲しい曲を歌う方が精神に安寧をもたらすことが多いのが分かった。
 楽しい時や悲しい時に、それに寄り添う音楽を。人は、そのように歌を作った。
 作詞家でもある私は、物語性の高い曲を好んでいるため、一曲一曲に世界を創る。
 その世界が、誰かの心に響くと嬉しい。
 さて、認知科学の話に戻ろう。
 祝詞というものがある。人を言祝ぐための言葉だ。
 私は、それを取り入れた歌を作り、被験者01に歌わせる。
 その歌は、人々を祝福し、勇気付けるものとなった。
 個人が持つ認知世界に良い影響を与えられたと言っていいだろう。
 そして、私は、祝いの逆も可能と見た。
 忌み言葉や呪言を取り入れて作った歌は、おそらく、認知世界に悪影響を及ぼす。いわゆる、呪いの歌だ。
 被験者01に呪歌を唄わせ、それを聴いた私に起こったことについて記録する。
 まず、自覚なく根付いているトラウマが掘り起こされ、強いフラッシュバックが起きた。それに伴い、動悸・目眩・吐き気がする。
 それから、しばらくして、希死念慮を抱き始めたので、実験は成功だろう。
 被験者01に私の好きな星灯りの歌を唄ってもらい、精神安定を図る。
 徐々に体調も良くなり、不安な気持ちもなくなっていった。
 これを他人に向けたならば、私は罪に問われるだろうか?
 呪いの類いは、司法では裁けないのではないか?
 私は、作った呪歌を封印することにした。楽譜データを消去し、被験者01には短期記憶を消す薬を投与する。
 自作の呪いは葬ったが、世界のどこかでは、今日も“暗い日曜日”が作られているのだろう。
 私は、創作物を愛している。何者が、それを作ることを止められるだろうか?
 人殺しを描いたミステリも、人死にを描いたホラーも、人の残酷さを描いたSFも。この世から、無くすことなど出来ない。
 我々は、創作者であるという業からは逃れられないまま生きている。
 願わくは、誰かが呪いに囚われないことを。
 真理が我らを自由にした。
 物語という娯楽が、芸術が、人々の灯りとなりますように。

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